研究メモ-長與善郎『最澄と空海』
2020年 08月 13日この巻末にある解説で福田清人は、「作者が十數年前、辻善之助博士の『人物論叢』の中の『最澄』を読み、關心を持ちだし、その後さらに同博士の研究など参考にして、題材をあたためてきた上書かれた」と述べている。今のところこの経緯の典拠は不明だが、特定宗派の関与が見えない点には着目しておきたい。また正確には、『人物論叢』にあるのは「傳敎大師と其時代」というチャプターである。その他の参考文献は定かではない。
描かれた時代は、八〇六(大同元)年から八二二(弘仁十三)年、つまり天台宗の開宗から最澄の死没までで、比叡山、高雄山、高野山を舞台とし、泰範をめぐる最澄と空海の葛藤が中心である。この三人以外にも、最澄の弟子圓澄、光定、圓修、最澄の天台戒壇独立運動に異を唱えたが、空海とは親交のあった護命、空海の師勸操、仏教興盛に貢献した和気廣世、嵯峨天皇の下躍進した藤原冬嗣などが登場する。
本作について福田は「最澄を純宗教家肌の人格者とし、空海を政治的手腕のすぐれた社會改良家肌の宗教家としての解釈から、あくまで宗教に生きる最澄のへりくだった気持ちを分析しつつ、一方空海も最澄のすぐれた点をみとめる度量によって、解決する。その進行シナリオ風な脚本でテンポと場面の快適な転換で、新鮮に示している。このテクニックは、よくこの重厚な作品を支えている。」と評している。ここで言う「解決」とは、両者の和解を示している(最澄は没しているわけだが)。空海は終局でこう讃える。
和上は安らかな大往生をお遂げなされたに相違ござらん。拙僧等はあれこれと俗務にまで追われ、結句とり止めもなく、奔走するのみでござるが、終始一貫一道を究められた傳教大法師の御行蹟は不朽でござる。日本仏教はおそらくこの叡山によって基礎を定められ、末廣く栄えていくこと、萬々疑ひござらん。
拙僧住居の寺でありました高雄山神護寺実は、和上の御揮毫を給はりました。
また、空海をこのように(最澄と比較して)性格づける描写が、後続の司馬遼太郎『空海の風景』にも類似した形で見られることにも留意したい。本作における長與の関心が最澄のほうにあるのは明らかだが、戦後の作品に現れた空海描写の一つとして、その周辺情報をメモしておく。
2.仏教との関わり
長與は、家庭の宗旨が曹洞宗であるものの、代表作が『青銅の基督』だからか、私の中では宗教で言えばキリスト教に関心を持っていた人というイメージが先行する。だが、その生涯を俯瞰してみると、断続的にではあるが、仏教への関心が垣間見られる。長與を仏教へと惹きつけた重要な契機のひとつは、学習院高等科時代(一九〇九〜一九一一年)における、鈴木大拙と西田幾多郎との出会いであろう。鈴木は英語の教員で、西田はドイツ語の教員であった。羨ましい教育環境だが、両教員とも当時は今ほどやたらありがたがられる「哲人」ではなかった。だが、長與はその一言一言に傾注したと書いている。彼らの口吻はこの当時からインテリ青年を魅了するものだったのだろうか。長與は後年、最も尊敬する三人の傑物を挙げているが、うち二人はこの鈴木と西田である(もう一人は幸田露伴)。
やがて長與は、鈴木の影響で彼が邦訳したポール・ケラス『仏陀の福音』(一八九四年)を知り、愛読するようになる。一方で、仏教哲学的な思索のほうはあまり得意ではなかったようで、西田の著作の中で通読できたのは『善の研究』と『思索と体験』(とその続編)だけだったと告白している。ちなみに私が読んだのは『善の研究』と『哲学概論』だけである(後者は哲学の受容史をやる人でもない限り読む必要はないだろう)。
一九三六年には東北地方を旅行した際に中尊寺を見て感銘を受け、十一月に『中尊寺を観るの記』としてまとめている(一九三九年に小山書店から出た『人生観想』に採録)。信仰はしないが、仏教美術に強く惹かれるというのは、のちに同じく中尊寺を巡礼した井上靖と共通する(井上の仏教との関わりについては、拙論「鑑真小説覚書き」に書いた)。
一九四〇年頃、鈴木大拙の「英文の著書『東洋と禅』を西田先生が褒め、専吉(註:自伝『わが心の遍歴』中の長與の変名)が和訳したらどうか」と言ったが、「いかに尊敬する人の著作にしろ、自分で訳などをする気も暇も」なかったため、旧知の志賀直哉のところで英語の家庭教師を務めていた「西という美術批評家とかいう男」を鈴木に紹介した。長與はその西が翻訳を担うことになったというが、『東洋と禅』にしても、「西」にしても、Google検索でヒットしないではないか。となると西は、専吉と同じく変名で、美術史家の北川桃雄、『東洋と禅』は北川が邦訳した鈴木の著作『禅と日本文化』(岩波書店、一九四〇年)だろうか。
◆主要参考文献
長與善郎『現代日本名作選 青銅の基督・この男を見よ』筑摩書房、一九五四年(『最澄と空海』も採録)
同『わが心の遍歴』、筑摩書房、一九六〇
年
同『余の宗教への前提』、新しき村出版部、一九二四年
岩淵兵七郎『長與善郎(評伝・人と作品)』、長與善郎(評伝・人と作品)刊行委員会、一九八八年
◆気になっている未読文献
①『重光』三(二十)一九三四年に掲載された長與の随筆「釋迦とシヨーペンハウエル。その他の斷想」及び「佛敎熱の復興について」。
②『最澄と空海』の執筆前後の長與の作品『人間の教師たち』(梧桐書院、一九五一年)及び『業』(『中央公論』一九五二年十一月号)。
③創文社版『最澄と空海』。
④一九三三年の七月から十二月まで『婦人公論』に連載していた『善縁悪縁』。
⑤渡辺守順「戒壇院 長与善郎「最澄と空海」『比叡山文学散歩』、白川書院、一九六三年
⑥ 長與善郎「弘法大師の人となり」『大世界』十一(九)、一九五六年
※Googleドキュメントを利用して、ほとんどスマホで入力してきたテキストですので、引用文の中の変換が難しい字については簡易なものに変えてあります。