コラム 半井桃水と仏教(五)私の問題関心―「戀情の彩華」を辿る





文学史的規準系を客観化しうる理想的なケースは、ジャンル、様式、あるいは形式の約束によって規定されている読者の期待の地平を、先ず独特に呼びさまし、次いでその期待の地平を一歩一歩破壊するような諸作品である。[ヤウス:38

期待の地平と作品との懸隔、すなわち在来の美的経験ですでに親しんでいたものと、新しい作品の受容によって要求される「地平の変更」との懸隔が、受容美学的に文学作品の芸術性格を決定するのである。[同:40

先ず新しい見方として祝福されるか、あるいはまた不快な経験とされるが、のちの読者にとっては違和感が感じられなく(星野註:重言だがママ)なることがある。それは、当の作品がもともともっていた否定的な面が当然のこととなり、今度はそれ自体がなじみの期待として以後の美的経験の地平にとり入れられる度合いに応じているのである。[同:41

 日蓮文学に関して私はすでに2つの小論を発表しています。「『日蓮文学』の研究に関する一考察」(星野論文①)はレビュー論文的な内容で、「福地桜痴『日蓮記』考」(星野論文②)は、福地が晩年に書いた日蓮劇(『日蓮記』)について考察したものです。この脚本に対する考察を個別研究の端緒としたのは、そこに2つの興味深い特徴があるように思えたからです。

 ひとつは、その終局で日蓮が為政者に対して恭順な態度を示すところです。この点は、日蓮像としては空前絶後の感があります。もちろん妥当だと言っているわけではありません。むしろ日蓮解釈としては誤謬でしょう。創作にあたり福地に助言をした田中智学は、これを「最末の瑕瑾」といって批判しました[田中:2122。しかし、拙論の関心はその背景にあり、私は、政教関係にまつわる福地の持論が反映しているのではないか、と推察しました。

 もうひとつは、福地が「戀情の彩華」と呼んだ創作上の工夫です(私は「彩華」を「作品を彩るかざり」程度の意味で捉えています)。福地は本作の「緒言」で、次のような断りを入れています。

演劇の立案に緊要なる材料は、戀愛の情事なり。戀情なければ一部の脚本を稿すべからずと云ふ事なるに。蓮公を演するに、尤も欠乏を告げたるは、戀情の彩華を得るの地なきに在り。依て宗綱山吹頼基小梅の善悪二配偶を作爲したるは、實に止を得ざるの苦心に出て。余も亦自から其牽强附會にして巧趣ならざるを知るものなり。[福地:4

 拙論でも言及していますが、福地は、青年期の洋行で西洋演劇と接触しています。演劇にとり「戀情」が「緊要なる材料」だという判断は、このあたりの経験に基づいているのかもしれません。その素地が従来の日蓮伝にはないと見た福地は、自作に2組の男女を登場させています。すなわち、小梅と四条頼基を日蓮門下のペアとして、山吹と平頼綱を日蓮に仇するペアとして配置しています。小梅と山吹は、福地が創り上げた架空の双子です。門下の比企能本の娘という設定であり、この点も日蓮伝としてはぶっ飛んでいます。山吹は頼基の許嫁ですが、宗綱と相思相愛の仲にあります。ですが山吹と宗綱は、謀略を尽くしたあげく悲惨な最期を迎えます。一方、頼基と小梅は日蓮を仲人として夫婦となります。要するに、福地はコテコテの勧善懲悪を描いたわけです。

 男女間の色恋沙汰は、政治権力に恭順な日蓮像と同様、既存の日蓮伝には見られなかった筋立てです。伝統的なプロットに慣れ親しんできた信仰世界の観客(主に日蓮宗の講中だったとされます)や脚本読者の中に「牽强附會にして巧趣ならざる」と感じる人がいたことは、想像にかたくありません(文献資料による裏付けがあるわけではありませんが)。福地自身も、脚本家をはじめるにあたり数百点の古典を読み込んで、史実に基づく話が面白いのは、筋が自然だからだ、という結論にいたった人ですから、このような脚色には後ろめたさがあったのではないでしょうか。しかし、それでも挿入する必要があると判断した。

 面白いことに、通時的に日蓮文学の作品群を追跡していきますと、この種のお飾りが、その後も断続的にではありますが其の時々の有力な書き手によって添えられていることが確認できます。それは、桜痴作に見られるような信徒同士の関係だけではありません。宗祖日蓮さえ「戀情」に結びつけられることがあります。比較的最近の?わかりやすい例として、川口松太郎原作の映画『日蓮』1979310日公開)を紹介しておきます。日蓮(萬屋錦之介)が幼馴染の浜夕(創作人物。松坂慶子)の剃髪に取りかかるシーンです[松竹:6

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 あるいは、人妻となった浜夕と久方ぶりの再会を果たした日蓮が草庵に帰り、日昭(中村嘉葎雄。映画『20世紀少年』の神様役の人!!)と次のようなやり取りをする場面も、とても印象的です。

日昭「おや、酒のにおいがいたしますぞ」

日蓮「二十年心の底に眠つていたお人の姿を見ることが出来た。心楽しい夜であつたぞ」

日昭「女人でございますか」

日蓮「限りなく美しい女人」

日昭「これは怪しからぬ。仏の道を説くあなたが、俗世の迷いを残すとは何事でござる」

日蓮「今宵は許せ。仏に捧げた身とはいえ、人じゃ、人間じゃ。美しき人に会えば、嬉しさは残ろう。だが‥‥‥(と日昭を見て)安んぜよ弁どの。日々戦さの庭にあるわが身、俗念、煩悩の入りこむ余地などあろうか」

日昭、大きくうなずく。[永田プロ:6162

 本作のプロデューサーだった永田雅一は、少年期に母親の影響で日蓮宗に入信し、苦境に陥った家庭の再建を胸に熱烈な信仰者となった人です[永田19539。実は、というほどの事実指摘ではないのですが、永田は1958年にも『日蓮と蒙古大襲来』という映画の「製作」を務めています(影響力の内実は今後の調査課題です)。当時スタッフや俳優陣に配布された台本には、「製作意図」として次のような文言が掲載されています。

偉大な愛国者日蓮上人の清らかな人格と燃えるような情熱を中心として、蒙古大襲来に際し、「南無妙法蓮華経」の旗の下に、一致結束して未曾有の国難を克服した、われら日本人の姿を、誇り高く表現したい。[大映:9

 しかるべきサイトで視聴していただければわかりますが、本作は「製作意図」が象徴しているようにちとカタイ物語です。ですが、それでも吉野という徳信の白拍子(創作人物。淡島千景)を登場させています。作品冒頭に表示される3番目の字幕では、「この映画は日蓮の救国・救民の熱情と未曾有の国難を中心に歴史の事実から飛躍して自由に創作した物語である」[同:21と表明されており、史的事実に関するおおらかさは、こちらも共有しているように思います。

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 各々の「戀情の彩華」が、いったいどういう算段から取り入れられたのかという問いには、慎重に答えねばなりません。作家のライフヒストリーや作風、作品の成立事情、文学的流行、より広い時代相などから総合的に導出するのが理想です。研究会などで他の先生がたから学際的に知恵をおかりしたいと考えていますが、ただ一点、現状推察しているのは、信仰者として日蓮を敬仰しているわけではない世間一般の読者に、文学・小説という形式でその魅力を伝えねばならないという文脈においては、こうした脚色は一定の有効性を見込めるツールだったのではないかということです。

 近年の研究生活のなかで、私は「日蓮」を象った流行作家たちとそれをワクワクしながら受容していた読者の非信仰的な熱情に触れているような気持ちでいます。たとえほんの片隅にであっても、彼らを近代における日蓮仏教の担い手として位置づけられないか、またそのほうが、歴史像の解像度は高められるのではないか、などとひとり愚考しています(調査対象が仏教と作家全般にまで拡散してしまっているのですが一生かかるぞコレ

 半井の『日蓮』についても、こうした問題関心から言及したいと思います。比較対象があったほうがよいので、尾崎士郎、山岡荘八のケースも見てみましょう。尾崎は戦時下において『主婦之友』で、山岡は戦後に単行本で「日蓮」を描出した作家です。両者とも、福地、半井と同じく仏教・日蓮信仰の人ではありません。

【続く】

参考文献

松竹株式会社事業部編『日蓮』(映画パンフレット)、1979

大映株式会社編『日蓮と蒙古大襲来』(映画台本)、発行年度不明

田中智学「日蓮上人の劇(つヾき)」『早稲田文学』第1次第167、早稲田文学社、1894

永田雅一『映画道まっしぐら』、駿河台書房、1953

永田雅一プロダクション編『日蓮』(映画台本。「再訂稿」と記載)、発行年度不明

中村登監督『日蓮』(DVD)、KADOKAWA2005

H.R.ヤウス『挑発としての文学史』(轡田収訳)、岩波書店、1976

福地桜痴『日蓮記』、博文館、1894

山田俊治『ミネルヴァ日本評伝選 福地桜痴 無駄トスル所ノ者ハ実ハ開明ノ麗華ナリ』、ミネルヴァ書房、2020

渡辺邦夫監督『大映ビデオミュージアム 日蓮と蒙古大襲来』(VHS)、徳間ジャパンコミュニケーションズ、販売年度不明


by dreamingmachine | 2021-08-11 21:56 | 近代仏教研究

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