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《本の紹介》釈徹宗『落語に花咲く仏教 宗教と芸能は共振する』朝日選書、2017年

 
 『見仏記』という、作家のいとうせいこうとみうらじゅんによる紀行文シリーズがある。学者による書物ではなく、両著者も、研究ではなく印象を書いているだけ、と述べているが、20年間で170カ所以上の寺をルポした労作であり、 情報量から見れば、充分研究上の参照価値があるだろう。この中でいとうせいこうは、薬師寺の僧侶が、来寺した人々を笑わせながら説法をする様子について、次のように述懐している。

「伝統は生きてるね」 とみうらさんが言った。私は答えた。
「寄席の原点だよね」
(中略)
僕たちの前では、背の低い初老の僧侶が消費税引き上げ論に皮肉を言い、そのまま帰依の契機についてしゃべる。

説法は演説であり、笑いをとって興味をひかせる手段であり、同時に講話であった。インドで仏教が始まった頃、僧たちは確かにこのように社会や常識と戦ったのではないか、と私は思った。

(「伝統は生きている」『見仏記 ぶらり旅篇』角川書店、2011)


 私は、この洞察に感心し、落語の入門書を繙いてみた。恥ずかしながらこの分野の本を真面目に読んだのはほとんど初めてであった。そして、その原点に浄土宗の安楽庵策伝や日蓮宗の露の五郎兵衛の存在があることを知り、日本仏教と落語の関係に興味を覚えた。そんな折、このテーマの総体に迫る研究書として目にとまったのが、釈徹宗『落語に花咲く仏教』である。

 章立ては、次のようになっている。


はじめに

芸能の中の宗教性

宗教の中の芸能性

情報から物語


序章

落語に花咲く日本仏教

傑作「蒟蒻問答」

私釈「蒟蒻問答」

三人の天使


第一章 人類の過剰な領域 宗教と芸能

第二章 日本仏教文化、発動!

第三章 日本仏教と芸能

第四章 説教の展開と落語の誕生

第五章 互いに響き合う説教と落語


あとがき


付録・落語「お座参り」の創作


 「あとがき」によると、著者は相愛大学で「宗教と伝統」に関する講義を担当しており、受講者には学生だけではなく 一般市民もいるという。多様な聴講者を前にした経年の講義がバックグラウンドにあるゆえか、本書では学術的な水準が保持されつつも、とっつきにくい古典文学の世界が終始平易な文体で綴られている。

 また、視野が広いのも本書の特長である。まず第一章では「宗教と芸能がクロスする地点」を探究していくための学知的基盤が示される。言及されている研究者は、スティーブン・スミス、ラルフ・ソレッキ、ミルチア・エリアーデ、エドワード・タイラー、ロバート・コドリントン、ポール・サガード、キース・ホリオーク、パウル・ティリッヒらであり、 宗教学、人類学、認知科学等の叡智を援用した学際的な視点が示されている。

 第二章では、日本芸能の母体となった、法会・法要を構成する声明(読経や表白)と説法(講義・講釈・説教・法談・ 唱導など)、そして法要後の演芸会や食事会について論じられる。本格的に宗教と語り芸能(絵解き、説教節、講談、浪曲)の接点が論究されるのは第三章で、続く第四章でいよいよ前述の策伝や露の五郎兵衛など、落語の始祖達の功績が取り上げられる。ここまで読み進めると、語り芸能・落語と日本仏教の複合的な影響関係が、頭の中で整理されてくる。

 終章となる第五章では、「松山鏡」「弱法師」「宗論」「後生鰻」といった演目の宗教性が論及される。著者は浄土真宗本願寺派の僧侶でもあり、ここで宗派仏教関連の演目として考究されているのは浄土真宗のそれだけであるが、宗派別の演目類型が提示されており(一五二~一五三頁)、たとえば法華系の演目としては、「沢」「甲府い」「法華長屋」「刀屋」 「中村仲蔵」「堀川」「法華坊主」が挙げられている。この類型は様々な読者にとって有用な手引きとなるだろう。

 「はじめに」と「序章」にも言及しておきたい。というか私は、ここにこそ落語と仏教の結節点を研究することの眼目が示されていると思っている。著者は「はじめに」で「単に宗教性が旺盛な演目に注目するのではなく、宗教権威を揺さぶったり揶揄したりする演目も取り上げる。そこにも芸能の本領があるからだ」と述べる。

 さらに続く序章では、有名な「蒟蒻問答」に論及する。旅の雲水が偽住職(茜屋)と禅問答し、世俗的な意味しかもたないジェスチャーに、勝手に宗教的な含蓄を読み取り感服して帰っていく噺である。これについて著者は「なにより、 宗教への強烈なアイロニーがある。「どれほど難しい学問や厳しい修行をしているのか知らないが、日常を懸命に生きている我々から見れば滑稽でもある」といった感性だ。しばしば視野が狭くなりがちな宗教の性質を笑い飛ばす、芸能の本領発揮である。濃密に収斂していく傾向が強い宗教に対して、体系や権威を脱臼させて拡散してしまう芸能。その魅力を 垣間見ることができる演目である」と解している。

 このように、芸能・言語芸術の宗教、仏教に対する態度の中には、敬虔な動機づけが稀薄ないし皆無のケースがある。 それも仏教史の一側面であるはずだが、仏教研究と言うと、とかく、洗練された「思想」や素朴な「信仰」、あるいは信仰共同体の「運動」に焦点が当てられがちだ。落語と仏教の交錯地点に足を踏み入れたならば、いとうせいこうの述懐にあるような、まるで仏教の始原に立ち会っているかのような体験も、あるいはあるのだろう。しかし一方で、仏教史の余白に、不信心者の痕跡をいく分書き加えていくことにもなるのではないか。そうした史的補填にこそ、本書の真価があるように思う。

 星野健一                    

法華仏教研究第25号より転載)









by dreamingmachine | 2018-02-15 23:40 | 雑記 | Trackback

展示「本をめぐる美術、美術になった本」

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副題は「近代日本の装幀美本からブックアートまで」。書誌学にはあまり関心を払ってこなかったが、実物を見ると意外に面白い。最近は明治初期の文献を調べていたが、色々参考になった。個人蔵とされる展示品が多いのに驚いた。アンケートを書くと、ブックカバーをもらえるよ。




by dreamingmachine | 2018-02-07 20:12 | 文学館の展示会 | Trackback

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