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幸福の科学から見た創価学会(5)ハッピーサイエンスは漸悟推し


 旧来の悪い癖が出て、話があちこちに飛んでしまった。言いたかったことを約言すると、日蓮の思想というのは、「南無妙法蓮華経」と連呼するだけで「仏界」にアクセスできるとする面に着目すれば確かに本覚思想的に見えるが、自身の罪業を見つめ、折伏し迫害されて罪業を段々と消していこうという考え(あるいは濁世・末法という時代認識)は、その枠組みから外れているんじゃないか、ということである。

 仏教では、時間をかけて悟りにいたることを漸悟・歴劫修行、その逆を頓悟と言うが、日蓮の成仏論は頓悟と漸悟のアマルガムのようなもので、悪く言えば未整理の状態になっているところがあると思う。じゃあ創価学会はどうかと言うと、これはちゃんと調べたことがないからはっきりとしたことはわからないが、私の狭い観察の限りでは同様の曖昧さがあるように見える。だからその一方だけに焦点を合わせても胡乱な批判になってしまう、というか成仏論がそうやってフワフワしているところを批判した方が有効だったのではないか、という気がする。しかしより重要なのは、なぜ幸福の科学は頓悟的な面に目をつけて批判したのか、ということである。

 『亡国論』の続きを見てみよう。


すべての人に仏性はある。しかし、それは仏になる悟りの可能性として与えられているのであり、勇気の原理としてはよいが、そのままで修行せずとも仏になれるといったとたんに、人間の努力を否定する邪義(誤った教義)となる。また、仏性の思想は人間を平等に見ていくので、愛の原理につながるいい面をもつが、努力に応じた悟りの高低は厳然と存在しており、この点において公平の原理が、働いていることを忘れてはならない。

 唱題行が一つの修行形態である以上、さすがに「修行せずとも」というのはおかしいし、迫害を通じた罪障消滅への視点が全くない。が、ここをいじってもあまり意味はない。確認したいのは幸福の科学で言う「努力」の意味だ。例えば一九九一年五月二六日に東京大学の五月祭で催された講演会で、大川は、このように語っている。


過去における幾転生を通して、魂の器に大小はあるでしょう(略)しかし、いかにそのかたちは違えども、大きさ違えども、現在の光り方は違えども、すべての人の魂はダイヤモンドであるということを教えているのが、宗教なのです(略)これが根本における「平等」です。そしてさらに、魂の磨きという今世の努力に関しては、「公平」というモノサシによって、再び測られることになります。出発点において平等性を秘めていながら、人びとがいかなる方向に向かって努力精進していったか、その結果に対しては、公平に判定をされるという基準がまたあります。それが悟りのレベルということでもあり、人びとを指導できる器の確立と言うことでもあり、来世に還っての霊格ということでもあります(『人生の王道を語る』幸福の科学出版、一九九三。一九九四年に『人生の王道を語る 講義』が出ている)


 幸福の科学で言う「努力」とは、「輪廻転生」を繰り返す中で、少しずつ「悟り」に向かっていく長大な行程を指している。つまり漸悟・歴劫修行の立場であり、そこから日蓮・創価の頓悟的な側面を批判しているのである。日蓮・創価に漸悟的な面があるにしても、この一生で成仏することを目指すことになるのだろう(霊山浄土という概念もあるが、これは謎)から、幸福の科学の救済観とはバッティングする。

 日蓮は中世の人ということもあり、この世のものではないものが見えていたようだが、池田大作(一九二八-)以降の創価学会は、比較的にではあるが、科学的・合理的な思考をする傾向があり、「来世」についてああだこうだ語ることは少ない。このあたりに両教団の思想の本質的な相違があるのではないか。

 また、この輪廻に強くリアリティを見出し、これを前提とした救済論を説く点を閑却してしまうと、幸福の科学の言っていることがよくわからなくなる。米本和弘『大川隆法の霊言』は、有名な「三一権実論争」にかんして、大川が宗教的才能には差異があるとする法相宗の徳一(七四九-八二四?)を支持していることをもって、差別主義者と見なすのは早計である。それにしても、幸福の科学は「現世を超えた異世界での生にかなりの力点」を置いたり、公平性を蔑ろにする「悪平等主義」を批判したりする姿勢が、「ポストモダン的」だとか言われたことがあった(島薗進『ポストモダンの新宗教』)が、成仏論に新旧の対照性が現れているのだとすれば、なかなか面白い。


2018/10/21改稿。

by dreamingmachine | 2018-07-30 23:35 | 現代宗教研究 | Trackback

幸福の科学から見た創価学会(4)本覚思想批判の論理

 先に『創価学会亡国論』という本を挙げた。前述した批判原理の意図を理解するために、こちらも見てみたい。これは幸福の科学の職員らが「永遠の挑戦」の内容を論文ぽい形式で敷衍した批判書であるが、学問にはなっていない。以前、右翼のトンデモ懸賞論文が話題になったが、あれとどっこいどっこいの感じだ。学者が書いた本が参照されている箇所があると、ホッとさせられる。

 この中に、創価学会教学部編『教学の基礎』(一九八八)の(創価学会の本尊を信じて唱題する人は)「その身そのままに仏界を顕し、自然に仏界の生命の働きが肉身の凡夫にそなわってくるのです」という一文が槍玉にあげられている箇所がある。『教学の基礎』は創価学会の機関誌『大白蓮華』の一九八八年一月号から六月号の記事をまとめた入門的な教理書であるが、一九九一年十一月に生じた日蓮正宗との分離(破門)を受け、「腐敗した日蓮正宗宗門の権威主義を打ち破り、民衆仏法の一段と力強い展開を示してのち、初めてまとめられる教学の手引き書」として、二〇〇二年に大幅に改訂増補されている。この新版には同一の文はないが、「私たちは御本仏の境地冥合の体である御本尊を所縁の境とすることにより、自身の胸中に境地冥合の悟りの境涯を実現して即身成仏することができるのです」とほぼ同様のことが書いてある。

当然ながら、こうした教説は日蓮に由来している。だから『亡国論』では、これを批判する論拠として、「日蓮は唱題という形式で、天台本覚思想を実践修業(ママ)の上に結実したといえよう。中でも日蓮の題目の方が(註:称名念仏に比べ)一層単純で、本覚思想発展過程で最も充実した窮極的な行法であると思われる。けれども第三者的に批判すると、実践の形式は極めて単純で内容は充実しているように見えるが、本覚思想の枠から抜け出てはいない」(大野達之助『鎌倉新仏教成立論』吉川弘文館、一九八二)とする指摘が引用されている。部分的に省略されてはいるが。

 日本仏教にあまり関心のない人は、何が問題なのかよくわからないだろう。それが普通である。かくいう私も浅い知識しかないが、現在の本覚思想の専門的な議論では、仏教思想史を俯瞰した上で、精緻に系統立てた理解が目指されている、ということくらいは言える。

 ところが大野は、時代的な制約や専門ではなかったこともあってか、<欲望に溢れた自己・世界を悟りの世界と見なし、ともすれば堕落してしまう思想>のように本覚思想を概括的に捉え、日蓮の考えをそれと同一視しているようである。『完全教祖マニュアル』(ちくま新書、二〇〇九)にも、日蓮は天台の焼き直しただけだと書いてあって戸惑ったが、もしや大野と同様の見方か。

 本覚思想を絡めた現代宗教論じたいは、決して奇妙奇天烈なものではない。たとえばオウム理解の文脈で、(オウムのタントリズムへの批判は)「あるがままの現実をそのまま仏の顕現と見る天台本覚思想の影響をうけている日本の仏教や新宗教の全体に及ぶ」(島薗進『現代宗教の可能性』岩波書店、一九九七)だとか、「有田芳生が、いまでもタントラ・バジラヤーナ(密教の金剛乗)を放棄していないからオウムは危険だと言うのです。(略)だったら、天台・真言はどうなるのか。(略)日本人の多くを規定している天台本覚思想はどうなるのか」(宮台真司「共同体原理を脱し、共生原理を確立せよ」『リアル国家論』教育史料出版会、二〇〇〇)といった指摘がある。

 だが、唱題行だけを見て日蓮の思想を本覚思想の枠内に入れるのは早計というほかない。まず日蓮は、たんなる現実肯定の人ではない。真筆は焼けてしまって現存しないが、「開目抄」(1271年)などを読むと分かりやすい。哲学者のウィリアム・ジェイムズ(一八四二-一九一〇)は『宗教的経験の諸相』(岩波文庫)で、孤独のなかで神的な存在との関わりを感じたときに生じる感情こそが宗教だと言ったが、「開目抄」はまさにこの意味での宗教性が濃厚なテキストである。日蓮がこれを書いたのは流罪先の佐渡であり、認めながら彼のなかでは、自分は釈迦から正しい教えを託され、それを弘めているのに迫害にあってばかりなのは何故なのか、という疑問がふつふつと湧いてきた。そして、過去の「法華経」の行者もまた迫害されていると捉えて慰めを得るとともに、過去世で「法華経」の行者を迫害した罪業のゆえに加護がないんだと自らを否定的に見つめ直すのである。

 ただ、それは、いま果敢に折伏・諫暁することで罪業をどんどん消していっているのだという自己肯定的な認識に変換されていく。このあたりの論理展開には、日蓮の魅力と危うさが同居している。日蓮の著作に触れたことがない人は、いきなり「開目抄」を読むのは大変かもしれないが、中公クラシックスに読みやすい訳が入っているから、そちらを読むといい。

 もうひとつ言えば、当時を濁世・末法の時代だと認識しているからこそ必死になって折伏・諌暁していたわけで、彼が言う仏国土なるものは、その延長線上に期待される理想郷であり、いまここにあるものではない。

 とはいえ、以上は私の個人的な日蓮理解と言わざるを得ない。要するに、日蓮には両義性(自己・世界に対する肯定と否定)があって、それをいかにして整合的に捉えるのかという問題がある。それは研究者の間で丁々発止の議論が昔もいまも交わされており、日蓮や創価学会の説く成仏論を正確に批判するには、そうした汗牛充棟の研究蓄積を踏まえる必要がある。


2018/10/21改稿。


by dreamingmachine | 2018-07-29 10:34 | 現代宗教研究 | Trackback(2)

幸福の科学から見た創価学会(3)二つの批判原理

 幸福の科学が、一九九四年から一年ほど展開した創価学会批判は、分量もテンションも頗る際立っている。「この世」的な見方を嫌っていたはずであるが、種々の批判書のタイトルが示唆しているように、週刊誌張りのゴシップネタや陰謀論の類いが多く、哲学者の森信成(一九一四-一九七一)が言った、一つの観念論による他の観念論の批判は唯物論の勝利になる、という警句が想起される。だがよく読んでみると、一部に観念論、宗教理論上の批判もちゃんと組み込まれていることが分かる。

まず批判が先鋭化する端緒となった大川の講演「永遠の挑戦」の一部を見てほしい。

最大にして最悪の邪教が、まだ生き残っている。それは、あなたがたがご存知の創価学会である。戦後、日本の新宗教の評判を、どれだけ落としたことか。その罪は、いわく言いがたいものがある。(略)私は許さない。その間違いを、 はっきりと指摘しておきたい。しかし、その原点は創価学会だけにあるのではない。仏陀として、かつて仏弟子が説いたことを、評価し、判定し、採点するのは、とてもつらいことではあるが、「間違いの原点は、鎌倉時代の日蓮そのものの教えと行動にある」と言わざるをえない。(『永遠の挑戦』幸福の科学出版、一九九五)。

 創価学会による、かつての強引な布教活動やいまだ続く熱心な選挙活動に対して、疑念や憤懣を懐く人が少なくないことは事実であるが、自教団が名指しで批判されたわけでもないのに、これほどの喧嘩腰になるのは些か唐突な感じがする。「仏陀」目線の発話にしても、やはり人を不思議な気持ちにさせるが、伝統による権威づけや正当化ができない場合、聖者の生まれ変わりをストレートに自称するのが有効なのかもしれない。高橋信次も釈迦、文鮮明(一九二〇-二〇一二)はイエスの生まれ変わりという設定であった。信じる人がいるのである。

 次に大川は日蓮批判の論点を二つ提示する。「一つは、「南無妙法蓮華経」の唱題を創唱したこと。そして、もう一つは、「日蓮宗以外はすべて邪教である」と言ったこと」だという。一瞥して、日蓮(一二二二-一二八二)は「日蓮宗」とは言ってないだろうとツッコミたくなる。「日蓮宗」という呼称は「キリスト教」と同様、日蓮の死後にできた言葉だ。中世末期までは「法華宗」、これに天台宗から異議が出たあとは「日蓮法華宗」と呼ばれた。現在「日蓮宗」と言ったら、狭義には身延山久遠寺を総本山とする宗教法人のことを指すとのことである(『岩波仏教辞典』、二〇〇二)。また真筆のないテキストだが、「日蓮は何の宗の元祖にもあらず」とする遺文(「妙蜜上人御消息」)もある。ちなみに「邪教」は、たしかに遺文に見られる表記だ。

 まあ、それはいいとして、唱題行にどのような問題点を見ているのだろうか。大川は、帰依すべきは釈迦の悟りの教え、すなわち中道、四諦、八正道、縁起なのだと捲したてる。これらを無視して唱題行をやるのでは駄目だと言う。唱題行とは、仏や神々の名が書きこまれたタブレット(曼荼羅の一種)に向かって「南無妙法蓮華経」という文句(一種のマントラ)を連呼することで、「仏界」にアクセスできるとする宗教的実践である、というのが、おそらく最大公約数的な理解だろう。日蓮信者の間では、「南無」は本来「ナム」と唱えるべきだ、いや「ナン」でもいいんだというトリヴィアな論争があったりする。

 私も嘗てはだいぶ熱心に唱題行を実践していたが、確かに爽快感を得られることがしばしばあった。そうした感覚を「仏界」と結びつけて認識している人もいるのだろうが、科学的な調査が進めば、おそらく大脳生理学的な説明で片がつくだろう。実際、脳科学者のジェームス・ハーツェル()や仏教研究者の松戸行雄などは、脳科学的な観点からマントラの研究を進め、一定の成果を得たとしている(松丸さとみ「サンスクリット語でマントラを暗唱すると、脳灰白質が増加することが明らかに」「ニューズウィーク日本版オフィシャルサイト」二〇一八年六月八日付け。松戸スザンネ/松戸行雄『脳波シフトで宿命転換-日蓮仏法3・1』NextPublishing Authors Press、二〇一八)。

 仏教以外の世界宗教にも、多かれ少なかれ発声を伴って神人合一を目指す神秘主義的な実践が見られるのは興味深いが、どうしても「異端的」と見なされるきらいがある。日蓮の唱題行も実在した釈迦(前四六三頃-前三八三頃)が説いた教えとは無関係であろう。日蓮信者でもある研究者の中には歴史的な釈迦と日蓮を思想面で重ね合わせようとする人もいるが、説法や茶話としてはいいとして、学問的には無意味だと思われる。一方で日蓮仏教、ひいては日本仏教は、「本当の仏教」から外れたまがいものだという厳しい主張もある。根底にあるのは、古ければ古いほど萌える、カッコイイという古代趣味で、仏教研究の前提にある語学習得の難関さが加味されて、宗教研究者の中にも、こうしたスノビッシュな位階を意識している人は少なくないと思われる。

 仏教思想にかなり精通している宮崎哲弥(一九六二-)でさえ、二世紀半ばから三世紀半ばにかけて活動した龍樹の「中論」あたりまでには関心があるが、インドから中国、そして日本へと輸入され、ズレにズレた我が国の仏教にはあまり価値を見出していないようだ。宮崎は仏教者であるが、たまに正統を自認する信者でもないのに異端性を批判する人がいて、おかしい。異端的な教団が社会倫理や法律に抵触するところを非難しようとして、途中から頭の中でこんがらがってしまうのだろうか。 仮に仏教学者らが幸福の科学を仏教の伝統の中に位置づけるとしたら、異端の極北と見なす可能性が高い。その場合、幸福の科学の創価批判というのは、異端同士の共喰い的様相を帯びてくる。しかし一応、大川は「仏教学の修正」と銘打って『幸福の科学』一九九二年三月号から一九九三年六月号で仏教思想について論じ、それらを『悟りの挑戦』の上下巻(講義篇なる解説書もあるが、教団内のみ頒布)及び『沈黙の仏陀』(幸福の科学出版)としてまとめている。中道、四諦、八正道、縁起について「現代の幸福の科学が到達した神理学的観点から」論じると言い、意気込み十分であった。特に基本教理書の『太陽の法』で「愛の発展段階説」などと言って力説していた八正道はお気に入りで、『幸福の科学』一九九四年六月号と「永遠の挑戦」と同時期の一九九五年一月号・二月号でも敷衍している。

 他の大川氏の著作と同様、全体的に平明な筆致であり、とても読みやすいのだが、様々な教説が教団内でどのように実践され、また活かされているのかが見えてこない。ただ、幸福の科学が日蓮・創価学会の思想には釈迦の教えがない、と批判し始めたとき、ウチはちゃんと説いているんだぞと、とりあえず主張できる状況であったのである。たいへん準備がよろしいようで。



2018/10/21改稿。



by dreamingmachine | 2018-07-28 06:42 | 現代宗教研究 | Trackback(2)

幸福の科学から見た創価学会(2)他宗批判事始め


 大川は、教団発足から2年ほど経った一九八八年十月二日に日比谷公会堂で行った講演会で、

今後、幸福の科学がどんどん大きくなっていきます。既成のいくつかの団体との間でやりとりもあるわけですが、そういうことはやがて過去のものとなり、もっと大きな日蓮宗系の団体がありますが、あのあたりと話をしなければいけない時期が来ます。ですからそのあたりに照準を合わせなければいけないわけです。(『説法自由自在3 真理の発見』、幸福の科学出版、一九九〇)

 と言っている。「既成のいくつかの団体」とは、主に生長の家とGLA系諸教団のことだろう。谷口雅春は一九八五年の六月に亡くなり、幸福の科学は一九八七年に『谷口雅春霊言集』(土屋書店)を出した。副題は「如来界から生命の実相を語る」となっている。『生命の実相』とは、読書人なら誰でも知ってる谷口の代表的な著作だが、いまは愛蔵版が出ているらしい。私は学部生の時に頭注版(全四〇巻)をブックオフで一気に買い、信者でもないのに四回程読んだ。目がちかちかしたが、それなりに読み応えがあり、まあまあ面白かったのである(とくにニーチェ解釈)。「如来界」というのは幸福の科学の霊界観では三番目に偉いので、谷口を高く評価しているということである。そんな高位に座す谷口の「霊」は、高橋信次・谷口亡きあと、新たな教えを説いていくのは幸福の科学だ、生長の家を超えていくことを嬉しく思う、と喋らされている。

 この後も一九八九年までの間に、同じ土屋書店から谷口の霊言集を三冊出している。一九八七年の『谷口雅春霊示集』は生長の家ディスをやんわり入れ、一九八八年の『谷口雅春の大復活』は生前の教えの補完を霊言でやっていると言い、一九八九年の『谷口雅春 光はここに』は今後幸福の科学が奇跡を起こしていくと予言している。「大復活」では霊言を「非常に困ったものだと言っておる者もあると聞いております」と谷口の「霊」に言わせているが、そりゃそうだろう。

 GLAの霊言集も多く出していて、高橋信次のものと「ミカエル」のものがある。「ミカエル」というのはセム系一神教のアレと言うよりも、信次の娘で現・宗教法人GLA代表の高橋佳子(一九五六-)の「天上界」での姿とされていたキャラである。信次の霊言集は一九八六年から一九八八年に十二冊出版され、一九八九年から一九九〇年にそのうち五冊が再刊、そのほか文庫版も出た。一方、ミカエルの霊言集は三冊にとどまる。一九八七年には前身のGLA総合本部から霊言集が本物であるなら目の前で証明してほしいという手紙が来たが、幸福の科学は無視したようである(有田芳生『「幸福の科学」を科学する』)。

 最初に出した『高橋信次霊示集』を読んでみると、信次の「霊」は、間違った方向にいっている弟子たち(GLAは信次の死後分派した)を救いたくて、大川を通じてメッセージを送っている、いまは大川の「指導霊」のひとりで、本当は幸福の科学による救済運動の先駆者なのだ、と大川自身が説明している。大川は一九八九年一月から毎週水曜日に約四五〇名の受講生を集めて、当時までに出した霊言集の講義をしていたのだが、それを書籍化した『幸福の科学原論』シリーズのパート3にも「高橋信次先生のわからなかった部分を説明しているのが、幸福の科学の仕事であると思います」と書いている。のちに霊言の封印とともに信次を否定するに至ることを考えると、実に感慨深い。

 『大天使ミカエルの降臨1』(土屋書店、一九八八)にも、信次から「ブッダの本体」(つまり大川)に「法のバトンタッチ」がなされており、もはやミカエルは幸福の科学の「指導霊」で「かつてわが守護せし団体」も幸福の科学の邪魔をするなら排除を辞さない、と書いてある。要するに、新指導者に率いられた生長の家とGLA系諸教団に正統性はなく、真なる後継者は自分らだと主張しているのである。前指導者に馴染みにのある懐古的な信者の中には、魅力に感じる人もいたのかもしれないし、当然ながらそうした人々を想定して霊言集を出版していたのだろう。

 さて「もっと大きな日蓮宗系の団体」というのは、もちろん創価学会であろう。大川の処女作が日蓮の霊言であり、創価学会を含む富士門流系の祖・日興から「イイシラセイイシラセ」というお告げがあったなどと主張していることも含め、教団草創期より創価学会を意識していたことは明らかだ。ただ、書籍というメディアに限って考えても、いま見たGLA系や生長の家関連の本をはじめとして様々な宗教者・思想家の霊言集及び教理書を出していたのだから、創価学会員のみをターゲットにしてオルグを狙っていた、とは思われない。

 「話をしなければいけない時期」が到来したのは、一九九四年である。幸福の科学の出版物を見る限り、同年の春に出た『理想国家日本の条件』あたりから明示的な批判が始まっている。ただ、まだ激しい内容ではなく、ぽつりぽつりと腐す程度であった。むしろ、この年は創価学会以外の教団の批判に注力しており、機関誌『幸福の科学』一月号でオウム真理教、二月号で統一教会、三月号でコスモメイト、五月号で高橋信次、六月号でGLA系諸教団、十一月号でエホバの証人を批判する記事を掲載した。これらは翌年に比較宗教研究会編『まちがいだらけの宗教選び』としてまとめられている(ただし信次に関する記事は除かれた)。対象とされた教団はどれも新新宗教に区分されており、同じ類型に属する幸福の科学としては差別化をはかりたかったのだと思われる。

 同年十二月十八日になって、幸福の科学の創価学会論は激しい論調に急変した。東京ドームで行われたエル・カンターレ聖夜祭なる集会で、大川が「永遠の挑戦」と題する講演を行い、創価学会の思想と運動を痛罵したのである。これを皮切りとして一九九五年は創価学会批判が前面に押し出されていった。批判の具体的な内容や背景を見る前に、大まかな流れを時系列に沿って示しておこう。

 上半期、『創価学会亡国論最大・最悪の邪教を撃つ』『あなたにもできる選挙違反撃退マニュアル』『緊急出版!これが池田創価学会の実態だ‼ なぜ、これが宗教なのか』『創価学会負け犬論現代日本の呪縛を解く』(幸福の科学出版)を相次いで刊行。

 七月十日、大川が、東京ドームで催した自身の生誕祭で、オウム事件には創価学会と統一基教会が水面下で関わっており、警察当局はオウム真理教の捜査がひと段落したあと、両教団にも捜査の手を伸ばすだろう、と発言(『新生日本の指針』幸福の科学出版)。前述したが、この発言はさすがにまずかろう。

 さらに同月、『黄金の法』(土屋書店、一九八七)を増補・改訂した『新・黄金の法』(幸福の科学出版)を出した。ここには旧版には見られなかった創価学会批判が四頁ほど追加されている(二五〇〜二五三頁)。これで一応創価学会批判が基本教理に組み入れられたことになる。

 九月三日、大川が幕張イベントホールでの講演会で「お題目ファシズム」に「楔をうたなければならない」と発言(『愛、悟り、そして地球』幸福の科学出版)。

十一月、『創価学会ドラキュラ論日本人の生き血を吸う瀕死のカルト』を刊行。なんちゃら亡国論という本はよく見かけるし、「負け犬」という語句も社会評論でたまに目にするが、「ドラキュラ論」というのは、初めて見る。

 十二月十日、大川が、東京ドームでの講演会で「「南無妙法蓮華経」という呪術的な文句を、何百万回、唱えたところで、煩悩の炎が消えないこともわかるはずです(略)根本的なる仏陀の教えに反しているのです」などと発言(『幸福の革命』幸福の科学出版、一九九八)。 これは後述する「永遠の挑戦」と同様の論点である。


2018/10/21改稿。


by dreamingmachine | 2018-07-27 01:18 | 現代宗教研究 | Trackback(29)

幸福の科学から見た創価学会(1)「内的論理」の危うさ


 六年以上前になるが、私は次のようなブックレヴューを書いた。

著者は、戦後の創価学会論には毀誉褒貶に二極化する向きがあったと見、それとは一線を画するものとして近年の社会学的研究を評価しているが、そこで解明された教団の「外的形態」は「内的論理」の理解が伴わなければ誤解を生んでしまうと主張し、歴代指導者、とりわけ池田大作の思想の読解からそれを試みている。そして、「池田思想」の核心を「すべてを生かす哲学」と表現し、この観点から「日蓮仏法」をめぐる文献学上の問題や宗教的排他性の問題、政教関係の問題等についてどのように理解すべきか論じている。こうした「内的論理」の理解に重きを置くアプローチは、主に社会学的関心から論じられてきた新宗教研究に一石を投じうるものである、と私は見ているが、その一方で、他の諸教団から見た創価学会の相貌に対する公平的な視座がほとんど見られないという点には一種の危うさが感じられる。そうした他者性との突合わせがなければ、著者が予てから問題視している「悪しき(理性的な共感を呼ばない)護教論」に堕する危険性が高まってしまうように思われるのである。(『法華仏教研究』第十二号、二〇一二年四月)

 レヴューしたのは『日蓮仏法と池田大作の思想』(第三文明社、二〇一〇。二〇一八年に再刊)という本で、著者は松岡幹夫(一九六二-)。『日蓮仏教の社会思想的展開 近代日本の宗教イデオロギー』(東京大学出版会、二〇〇五)という労作があるが、本書はやはり護教的に過ぎる感がある。こういう場合、公の場で取り上げるな、批判したら自分も同類だと思われるぞ、と陰でこそこそ後続を使嗾する動きがアカデミズムにはあるものだが、学識のある人物が公刊した書物に異論があるのなら、堂々と指摘すべきであるし、陰口をたたくのは卑怯かつ無責任だと思う。

 ということで上記レヴューについて少々敷衍してみると、「池田思想」「すべてを生かす哲学」とカギかっこを付けたのは、もちろん本書からの引用だからであるが、そもそも池田個人に思想・哲学なるものがあるのか、よくわからなかったという理由もある。〇〇の思想・哲学と言ったら、同一著者によるテキスト群から論理整合的に抽出される定見のことを指すが、そうした作業がどの程度可能な対象なのだろうか。たとえば『人間革命』やSGI提言は、調査対象に含まれるのだろうか(わかるね?)。あるいは哲学上の概念を駆使して物事を整理するのが好きな人物であれば、一九九一年以降とか早い段階で教学上の諸問題に自ら着手し研究していたはずではないか。そうした疑念が頭に浮かんだのである。私にとってはいまだペンディングの問題だ。因みにこれを悪口だと感じる人は、思想やら哲学やらがあることが優れた人間の条件だと思っているのかもしれないが、私は必ずしもそうだとは思っていない。

 また本書では、戦後の創価学会について

歴史的に見て『法華経』の真理を否定したり、意識的に無視したり、教えを盗用したりして成立し、今では相当に社会的勢力を拡大した既成仏教や新宗教に対し、日蓮の後継者たる自覚の下で社会的・思想的な応戦を開始したのである。

 と解され、創価学会から見た諸宗教の難点が挙げられるのだが、それらの教団が懐いていた創価学会観が示されないまま、

要するに、当時の創価学会には、国家社会の繁栄のため、『法華経』の真理を社会的に葬り去ろうとする諸宗教の動きに応戦する気概が漲っていたのである。学会のこうした折伏精神に対し、諸宗教は次第に団結して創価学会を排除すべく集団的な排他主義をとり、学会側もさらに応戦していった。

 と論じられている。私が公平じゃないと言ったのは此の点で、「葬り去ろう」としたことが事実であるかのような書き方になっているし、「応戦」と表現することで他宗教からしかけたかのような印象を生み出してもいるし、松岡の意見と「内的論理」とがほとんど同化しているように読めてしまうのである。「内的論理」なるものにどれだけの妥当性・事実性が認められるかは、別途調査・検討する必要があるだろう。こうした論述を目にして私が看取したのは、社会や他教団からの評価や認識との照らし合わせがない「内的論理」というものは、宗教史・教団史を捻じ曲げてしまう怖れがある、ということだ。半ばマジックワード化していて使用するのが憚られるが、「他者」に目を向けないと駄目である。

 まあ、そうは言っても私にできることは少ない。宗教関連の資料というのは、稀覯本が少なくなく、読書のほとんどを図書館からの借用及び書店での立ち読みで済ませているような貧民(星野)にとっては、集めるのになかなか時間がかかる代物なのである。本来は、本書で言及されている伝統仏教や近代もしくは戦後まもなくの間に伸長した新宗教の創価学会観を浮き彫りにしたいところなのだが、一部の資料だけを読んで付け焼刃的に熟せる作業ではないし、まだ発表できる段階にない。しかし、幸福の科学の場合は新しい教団で、網羅的とはとても言えないが、一般刊行書籍に限れば比較的多数の資料にアクセスすることができた。ということで、以下、幸福の科学が創価学会をどのように捉えてきたのか論じる。


2018/10/21改稿。


by dreamingmachine | 2018-07-25 04:32 | 現代宗教研究 | Trackback

桜痴の日蓮観:主要参考文献リスト

2016年6月25日に催された「第1回 法華仏教研究発表会」(於・東洋大学)http://www.geocities.jp/houbutuken/で、「近代文学者の日蓮観に関する研究史再考」と題する発表をさせていただいた。予てから文学という視角からの仏教研究に関心があり(つまり未開拓の領域があると判断して)、わずか数年であるが、戦後の国文学・近代仏教研究におけるその蓄積を可能な限り調べる中で懐いた今後の「日蓮文学」(石川教張)研究の在り方について、私見を論じさせていただいた。


質疑応答で問いそれ自体を否定しかねないお声も戴いたので、センスの悪い関心かもしれないと一寸思ったが、同年8月7日に「「宗教」をものがたる―宗教/文学研究のいま」とするシンポジウム(於・日本女子大学)が開かれると知った。プライベートの問題で不慣れな法律の勉強をせねばならず忙殺されていたため参加は叶わなかったが、


「過去二十年以上にわたり、人文諸学においては自らの学問領野の自明性・自律性を問い直す試みが行われてきた。宗教研究においては、〈宗教〉概念が俎上に載せられ、分析概念の相対化が図られてきたことは周知の通りであり、また文学研究においても、〈文学〉なるものの範囲、正典(カノン)としての〈名作〉の特権性、そしてロラン・バルト以降の作者の優位性をそれぞれ問い直す動向が生起している。だが、そのように自らの研究領野へ批判的なまなざしを向ける一方で、周辺領野の研究に関して相対化は十分に図られてきていないのではないだろうか。言うなれば物語と宗教の関わりをめぐって、宗教研究と文学研究は、互いの研究領野における学問的達成への目配りが成立しているとは言いがたく、積極的な架橋が望まれているのである。」(近藤光博のブログ


という大会主旨の最後の一文を読んで勇気(みたいなもの)が湧いてきた。大澤絢子氏が「新聞小説と親鸞像 石丸梧平から吉川英治へ」を発表されているのが特に興味深かった。


その後、1年ほど発表原稿を寝かし、質疑応答でいただいた助言も勘案して、2017年7月に論文「「日蓮文学」の研究に関する一考察」を『法華仏教研究』24号で発表させていただいた(いずれこのブログに転載します)。まあ、小論であるけれども。


論文の中で、近現代日本のキリスト教文学に関しては全集が出ているのに仏教のそれがない、といったことを書いたが、なんと同年同月から『親鸞文学全集<大正編>』が刊行され始めた。いい波乗ってんね、である。次は『日蓮文学全集』の番だ、と思った。


だが、色々あってひいひい言ってるうちにまた1年何も発表せずに過ぎ去ってしまった。ただ、少しずつ勉強はしていたので、自分自身を奮起させパソコンの画面に向かわせるために、また頭を整理していくために、ときたま研究ノートを当過疎ブログに書き込んでいこうと思う。


いままとめているのは、明治のジャーナリストでのちに戯曲作家となった福地桜痴(1841ー1906)の日蓮観(『日蓮記』1894年)である。今回は主要参考文献のうち私の手元に原本かコピーがあるもののリストを載せる。一部行替えがおかしいところがあるが、なぜか直らない。




猫尾道人(福地桜痴の筆名)「日本人民の信仰を妨害するの議」『郵便報知新聞』、1874年10月10日


福地桜痴「沙門ノ争論ヲ戒ム」『東京日日新聞』、1878年3月2日


同「信仰ノ自由」『東京日日新聞』、1878年3月28日


同「真宗西派ノ紛議」『東京日日新聞』、1879年8月4日


同「教導職ヲ廃スベシ」『東京日日新聞』、1879年11月10日


同「僧侶ニ年度ヲ賜フベシ」『東京日日新聞』、1879年11月11日・12日


同「教導職論」『東京日日新聞』、1880年2月10日


同「僧侶要農医兼学之議」『東京日日新聞』、1881年3月22日


同「教導職ヲ廃スルノ議」『東京日日新聞』、1881年4月26日


同「国教ヲ論ズ」『東京日日新聞』、1881年12月1日


同「神官教職ノ分離」『東京日日新聞』、1882年2月8日


同「宗教論」『東京日日新聞』、1883年2月12日・13日・14日・15日・16日


同『宗教論』、干河岸貫一、1883年4月

※上記連載をまとめたもので、「アラザル」→「有らざる」のように片仮名表記を平仮名表記に変えているものの、内容上の違いは見られない。


同「宗教二對スル政府ノ威權」『東京日日新聞』、1884年3月11日


同「宗教ノ争論ハ禍源ナリ」『東京日日新聞』、1884年6月23日


同「僧侶ノ補任」『東京日日新聞』、1884年7月17日


同「教導職ヲ廃セラルノ令」『東京日日新聞』、1884年8月15日・16日


同「宗教ハ勧誘スベカラズマタ排斥スベカラズ」『東京日日新聞』、1884年8月20日


同「宗教の改良」『東京日日新聞』、1887年2月8日


田中智学「日蓮上人の劇(櫻痴居士が『日蓮記』の批評に及ぶ」『早稲田文学』65号、早稲田文学社、1894年


同「日蓮上人の劇(つづき)」『早稲田文学』67、早稲田文学社、1894年


著者不明「櫻痴の一家言」『反省雑誌』12・1、反省雑誌社、1897年


著者不明「櫻痴観」『反省雑誌』13・8、反省雑誌社、1897年


星野梅輝『劇に現れたる日蓮聖人』、天業民報社出版、1921年


川邉眞蔵『福地櫻痴』、省堂刊、1942年


土屋喬雄「開国文化の先覺者福地櫻痴の経済論」『開國百年記念 明治文化史論集』、乾元社、1952年


昭和女子大学近代文学研究室編『近代文学研究叢書』第8巻(岸田吟香/福地桜痴/黒川真頼)、昭和女子大学近代文化研究所、1958年


田村寿『三大言論人集』第3巻(福地桜痴/沼間守一)、時事通信社、1962年


柳田泉『人物叢書 福地桜痴』、吉川弘文館、1965年


『明治文学全集11 福地桜痴』、筑摩書房、1966年


坂本多加雄「福地源一郎の政治思想―「「漸進主義」の方法と課題」『思想』657、1978年                                                                                            石川教張「福地桜痴」『文学作品に表われた日蓮聖人』、国書刊行会、1980年


小島直記『一期の夢 小説・福地桜痴』、集英社文庫、1983年


小山文雄『明治の異才 福地桜痴 忘れさられた大記者』、中公新書、1984年


水上勲「福地桜痴の初期史劇論考(一)」『帝塚山大学教養学部紀要』33、帝塚山大学、1993年


小山一成「桜痴『日蓮記』初演周辺の記録」『立正大学國語國文』36、立正大学國語國文学会、1999年


片塩二朗『Vignette創刊00号 桜痴、メディア勃興の記録者』、郎文堂、2001年


田村眞依子「近世・近代における「日蓮記物」の一考察」『日蓮教学研究所紀要』31、立正大学、2004年


黄民基『唯今戦争始め候。 明治十年のスクープ合戦』、洋泉社、2006年                                                                  中川右介『歌舞伎座物語 明治の名優と興行師たちの奮闘史』、PHP研究所、2010年


石山俊彦「第1章 木挽町に歌舞伎座誕生―福地桜痴の野望と挫折」『歌舞伎座五代―木挽町風雲録』、岩波書店、2013年


松浦寿輝「44 現在―福地桜痴(1)」「45 浅薄―福地桜痴(2)」「46 情報―福地桜痴(3)」『明治の表象空間』、新潮社、2014年


米原謙『国体論はなぜ生まれたか―明治国家の知の地形図』、ミネルヴァ書房、2015年


by dreamingmachine | 2018-07-21 06:56 | 近代仏教研究 | Trackback

西部邁の影像(5)エピゴーネン


 幸福の科学とマスコミと言えば、フライデー事件が有名だ。一九九一年の九月二日に、前述した大川に関する記事を掲載した『フライデー』の出版元である講談社に対して、幸福の科学の会員らが五日間にわたる抗議行動を起こした事件である。しかし、幸福の科学はそのおよそ八ヶ月前に『アラーの大警告』(幸福の科学出版)なる霊言本を出して、その中でマスコミ批判をやっていた。湾岸戦争勃発の直前である点も見落とせないのだが、「ミラクル計画」という会員数の大幅な増大をスローガンに掲げた運動の開始時期であるという点も重要だ。

 『アラーの大警告』というのは、同年に反イスラム的とされた『悪魔の詩』の訳者五十嵐一(一九四七-一九九一)が殺害された事件が起きていることを考えると、けっこう危険なタイトルに見える。ただ、アラーといっても、大川の中では、どういうわけかGLAの高橋信次の霊とほぼ同一の存在(エル=ランティと言われる)とされ、なんと一人称が「僕」であったりする。

ここで注目したいのは『アラーの大警告』の中の次のような文言である。

今、世の中が変わってきて、新聞何かがいばっちゃってね

政治家をクビにしたり、総理大臣をクビにしたりね、あるいは企業人をクビにしたり

これ正義の神を名乗っているけれども、僕はおかしいなあっていうふうに思うね。彼らはね、人間を罰するっていうかね、罪人にすることをもってよろこびとしているようなところがある。血祭りにしているよ。魔女狩りだな。

リクルート事件についても、僕は言わしていただきますけれども、あれはマスコミの大きな犯罪だと思っています。

特にいけないのが、あの魔女狩り的雰囲気。あれは危険ですよ。


 「リクルート事件」に「魔女狩り」と、西部流マスコミ批判のキーワードが登場している。またフライデー事件が生じる矢先の同年九月十五日に、大川は「希望の革命」と題した講演を行っている。そこでは「(註:『アラーの大警告』)をまともに受け止めている人が少ないことを、私は残念に思うのです」と発言しているから、『アラーの大警告』の内容はそのまま当時の幸福の科学の主張と捉えていいようだ。とりあえず「希望の革命」の一部を『ダイナマイト思考』(一九九三年)から引用する。

昨今のように、銀行界、証券業界、例外を問わず、すべてのものを圧殺し、彼らの反論を聞く余地も与えないマスコミ権力と言うものは、日本では、今や第四権力から第一権力となろうとしている。

民主主義の基礎にあるものは「神の心」でなければならないのです。

神というものがなくなれば、多数が集まったとき、そこに現われるものは衆愚政です。

神から降りたる規範、善なるものを信じる人びとがあってこそ、そしてそうした人びとの声を吸い上げるマスメディアがあってこそ、言論の自由は真の民主主義をつくる基礎となるのです。

 宗教だから「神」云々の話にはなっているものの、「第一権力」になりつつあるマスコミと「衆愚政」を結びつけて論じている点が、西部のマスコミ批判の論点と同じであり、大川のマスコミ批判と、西部のマスコミ批判を見比べれば、大川が西部流大衆社会論の影響下にあることは明らかだ。その後も幸福の科学は、一九九三年に『宗教の反撃』、一九九四年に『講談社亡国論』『幸福の科学興国論』、一九九五年に『永遠の挑戦』『言論の自由対信教の自由』『宗教的自由を求めて』『マンガ希望の革命』『ストップ・ザ・ヘアヌード』などを出版し、その中でマスコミ批判を続けた。しかし、その後凡そ十三年ほど影を潜める。二〇〇七年に新潮社を名誉毀損で訴えるということはあったが(片野勧『戦後マスコミ裁判と名誉棄損』論創社、二〇一〇)。

 再開されたのは、幸福実現党が結党された二〇〇九年である。マスコミが「国内問題ばかりいじくって」世界の情報を伝えていない(二月)、マスコミは公務員も首相もクビにできる。それはいわば「マスコミ法」「週刊誌法」だ。「かつて第四権力と言われていたマスコミは、今、事実上第一権力になっている」と言われている」(五月)等々の発言が見られるようになった(順に『日本の繁栄は、絶対に揺るがない』『幸福実現党宣言』『政治の理想について』幸福の科学出版)。

大川自作の憲法草案『新・日本国憲法試案』(幸福の科学出版、二〇〇九)にも、「マスコミはその権力を濫用してはならず、常に良心と国民に対して、責任を負う」という一文が第十二条に加えられ、その解説にも「今、マスコミは非常に大きな権力になっていて、実際上、「第一権力」と言われています」とあり、「マスコミ=第一権力」説は重宝されている。ちなみに西部にも『私の憲法論 日本国憲法改正試案』(徳間書店、一九九一)という著作がある。

 言説を見る限りでは、大川はいまでも西部大衆社会論の衣鉢を継いでいるように見える。渡部昇一の霊言は手早く二冊出したのに、西部の霊言は今のところ出していないのは、既に西部の論を活用しているからだろうか。

ともあれ、ウィキペディアの「西部邁」の項を見ると、「影響を与えた人物」に「大川隆法」が入っていないが、入れてほしい。

 二〇一一年から二〇一二年にかけては、新潮社、朝日新聞社、文藝春秋社に悪魔が取り憑いているとする珍妙な本(『週刊新潮に巣くう悪魔の研究』『朝日ジャーナリズムの「守護神」に迫る』『「週刊文春」とベルゼベフの熱すぎる関係』)を出したが、これらは離叛した前妻の言い分を『週刊新潮』『週刊朝日』『週刊文春』が掲載したことへの意趣返しである。教団としては反応せざるを得ないのだろうが、私はこういうものにはあまり興味をもてない。最近もマスコミ批判本は出ているが、未読である。

 最後に、あれだけ喧伝していたマスコミ批判を、なぜ一度引っ込めたのかという問いについて一つの解を示しておきたい。実態調査をしたわけではないから、理由を明らかにすることはできないのだが、一つの可能性としては教団拡張政策の収束が考えられる。 前述した「ミラクル計画」というのは、一九九〇年七月八日に盛岡市アイスアリーナ(盛岡タカヤアリーナ、盛岡総合アリーナと改称)で行われた講演会で発表されたスローガンで、七万人程だった会員数を、一九九一年度中に百万人、一九九二年度中に三百万人、一九九三年度中に一千万人にする、というものである(二十一世紀文明研究会編『これが「幸福の科学」だ』)。

 創価学会にも「七つの鐘構想」なるものがあったが、三百万世帯から六百万世帯への増員は七年がけの目標とされた。それだって時に無茶な布教行為が行われ、社会的非難を浴びることになった。「ミラクル計画」は世帯数ではなく会員数の目標であるが、凡そ三百万人の増員を僅か二年半ほどで成し遂げるというのだから、本当に実現したのならまさに奇跡的である。

 さらに、「ミラクル計画」の期限が迫った一九九三年十二月二十三日には、「エル・カンターレ聖夜祭」なる講演会が東京ドームで行われ、新たに「ビッグ・バン計画」なるスローガンが宣言された。一言でいえば、共産主義体制の崩壊や世界同時不況など世界規模の問題が生じている現在、民族の壁を超え地球人として世界中に伝道していかねばならない、とする内容である。期間は一九九四年からの三年間とされた(『釈迦の本心』幸福の科学出版、一九九五。『太陽の法』同、一九九七)。実際、一九九四年から一年強の間に、アメリカ、カナダ、ブラジル、韓国などに海外支部が開設されていった。面白いのはこれが「ネオ・ジャパニーズドリーム」とも呼ばれ、グローバリズムに立ちながら日本人(日本の会員)に伝道への使命感を湧かせようとする主張になっている点である。

 この二つの政策を勘案すると、次のように推測ことも可能である。外部社会への働きかけに重点を置いた運動は、九〇年代初頭前後に始まり半ばくらいに一段落した。そしてそれに伴って、マスコミ批判のようなアピーリングな主張は後退していった。ちなみに霊言という手法や他宗教批判もほとんど同時期に収束し、また二〇〇九年の幸福実現党の結党以降、復活している。


2018/10/21改稿。


by dreamingmachine | 2018-07-17 08:14 | 現代宗教研究 | Trackback

西部邁の影像(4)マスコミ批判 

 以上は形而上のレベルでの類似点である。それはそれで別にいいのだが、私はむしろ両者の大衆社会論が似ていると思っている。一九八八年、リクルート社が政財官界に贈賄をしたことが明らかになり、竹下登(一九二四-二〇〇〇)が首相を辞任する事態になった。いわゆるリクルート事件である。西部は予てから学者・専門家も「大衆」と見なして批判していたが、報道が過熱した一九八九年にこれまでの自論にマスコミ批判という論点を加えた。その当時、保守系の言論誌『Voice』に発表していた評論を掻い摘んで見てみよう。なお引用は『マスメディアを撃て』(PHP研究所、一九九一)からする。

マスコミ世論では、この事件(註:リクルート事件)が疑獄とか大型疑惑と名づけられていたのであるが、小生は当初よりこれを単なるお笑い草としかみていなかった。そしてそんな下らぬ事件に世を挙げて大騒ぎするところにこそ、日本が高度大衆社会になり果てたことの紛れもない証左があるのだと考えてきた

民主主義がひとたび確立されてしまえば、マスコミは権力の先頭に立つのだ。司法、行政、立法の三権に優越する第一権力を握るのはマスコミである。

自己の欲求や意見や行動が原理的に「無制限の権力」となるべきだと思うような人々によるデモクラシーは、ほぼかならず、衆愚政治へと転落するのである。

無意味な決まり文句の連発によってマスコミ世論が形成される。この破壊された言葉こそが「魔女狩り」のための最も有効な武器なのであり、それによって特定少数者の生活と人格が破壊されていく。


 リクルート事件をめぐる報道合戦を目の当たりにした西部は、マスコミが「第一権力」と言うべき勢力を保持し、特定少数者への「魔女狩り」が横行している社会状況を「衆愚政治」の一様相として論じている。これは保守主義の父だとか言われてるエドマンド・バーク(一七二九-一七九七)が、擡頭してきた新聞業界に対して名づけた「第四階級」という用語を援用した見解だ。そのあとに出した『マスコミ亡国論』(光文社、一九九〇。二〇一八年に青志社から再刊)にも、マスコミ=第一権力説が見られる。こちらの本は、幸福の科学のマスコミ批判と同時代の「潮流」として島薗進『ポストモダンの新宗教』(東京堂出版、二〇〇一)の中の註で挙げられたことがある。まさに幸福の科学は「潮流」に乗ったのである。


2018/10/21改稿。


by dreamingmachine | 2018-07-16 22:58 | 現代宗教研究 | Trackback

西部邁の影像(3)西部、「幸福の科学」を論ず

 続けて西部は、大川が自分がエル・カンターレだと宣言し十年前後で日本人のすべてを信者にしてみせると言ったことに対して全体主義だという批判があることに触れ、

宗教上の論理的必然として日本人のみならず全世界の人間をすべて信者にしてみせるべく彼らは努めるのであり、彼らからみればその務めができるだけ早く成就するに越したことはないのである。宗教者のこの種の言動を否定することはほとんど宗教そのものを否定するのと同じことである。

 とまたもや正論を掲げて擁護する。直後にエル・カンターレ宣言には「少々の気味悪さを感じる」と付言しているが。西部の論評は一部で幸福の科学にとっては不服であろう書き方をしているものの、批判一辺倒になっておらず、特に抗議は受けなかったようである。だがそれから十二年ほど経って、西部と幸福の科学との間で一悶着起きる。コテコテの右翼が集まった「新しい歴史教科書つくる会」を共に脱退した漫画家の小林よしのりとの対談のなかで、西部が幸福の科学を「エセ科学」と言ってしまったのである。

とあるテレビ番組に出たんですけど、目の前に幸福の科学とオウム真理教の信者が5、6人 ずつ並んでいた。幸福の科学というのは、読んで字のごとくエセ科学みたいなことを言っていた。エル・カンターレの神秘の話を科学めかしたようなことを。おもちゃか何かを爆発さ せて死んじゃった人がいたでしょう?(略)その人が話していたんです。(『本日の雑談1』飛鳥新社、二〇〇四)

 「死んじゃった人」とは、もちろん景山民夫のことである。景山は一九九八年に火災事故で亡くなった。この「エセ科学」という表現が幸福の科学の癇に障ったようで、教団側から西部のもとに抗議と会談の申し入れがあったという。これはかなり怖いはずだが、繰り返せば西部は勇敢にも教団の人たちに会いに行った。そしてこれまで幸福の科学から書籍が送られてきていたにもかかわらず、それらをちゃんと読まずに「漠たるイメージ」のみに基づいて「エセ科学」と言ってしまったこと、そして景山の遺族に対して失礼をしてしまったことなどについて謝罪し、一時間ほど談笑したという(『本日の雑談3』)。自分に落ち度があると思ったら潔く謝る。こういう西部の態度は好きだ。これが功を奏したのか、教団の人たちは謝罪に来た西部に「西部さん、ウチの大川隆法が言っていることと、西部さんが言っていることは、基本的に同じなんです」とも言ったという。どんだけツンデレなのか。しかも西部もそれを認めている。たんなる懐柔策にもみえるのだが、しかしいったい、「基本的に同じ」とはどういうことなのか。西部の理解はこうだ。

人間というのは目的意識を持って行動するわけですね。それで、その目的というのはどこから出てくるかとちょっと考えると、より高い目的というものがあるとせねばならない。(略)目的を総合する、あるいはバランスをとる、より高い次元での目的を考えざるを得ない。そのプロセスをずっと追っていくと、いわば崇高の次元というか超越の次元というものが仮説としてもあるとせねばならない―そういったことを僕は書きもしたし、言ってもいるんです。そのあたりのことを言えば、大川隆法氏の言っていることと瓜二つとまでは言わないけど、似ているところがあるのは確かですね。(『本日の雑談3』)

 これは先に見た「絶対価値」の説明と同様である。大川は人間の「魂」のレベルを十段階に分け、最高位を「宇宙界」などと呼んでいるが、西部は『太陽の法』などの基本教理書をもらい、こうした教えがあることを知って「絶対価値」なるものを措定する自分の宗教観と似ていると思ったのではないか。





by dreamingmachine | 2018-07-16 04:48 | 現代宗教研究 | Trackback(1)

西部邁の影像(2)最高善


 幸福の科学と西部が初めて相見えたのは、おそらく、この「朝まで生テレビ」の「激論!宗教と若者」の回である。このときの討論では、幸福の科学に投げかけられた「旧宗教との対決」論以外にも、「人間がもしも何事かに本格的関心をもつとしたら、それは宗教以外にあるわけがない」「いまだかつてある特定の宗教、教典も含めていわゆる信心をしたことがない」「(このまま)信仰をもたずに死ぬであろう」等々、西部の宗教観の一端が幾つか顔を覗かせている。

 西部は、専門は経済学だが、浄土真宗の家に生まれたためか、信仰・宗教に関心を持ち続けたようだ。最後の回顧録『ファシスタたらんとした者』(中央公論新社、二〇一七)は「信仰論」で終わっており、富岡幸一郎(一九五七-)は「西部先生においては宗教の問題をことさら「専門的」に語ることはなかったように思うが、人間とその社会や共同体の存立のなかにおける「宗教」の価値に関してはつねに注視していた」と述べている(「思想家・西部邁の出発点」『表現者 criterion』五月号、二〇一八)。こうした面も含め西部の宗教観の全容をつかむためにはその著作について網羅的に検討しなければならないが、ここでは上に挙げたような一九九〇年代前半当時の宗教観に照準を合わせ、『人間論』の中の「宗教について」を見てみることにしよう。

 ここで西部は、宗教を次のように捉えている。


宗教というのは、絶対的な価値基準が存在するという方向での想念・観念および行動のことであって、実体的制度としての宗団や教義のことではない。絶対価値にのみ本格的関心をもつのが人間精神のネイチャー(本性)なのである。


私は、絶対価値についていわば「仮説的信仰」の立場をとりたいと思う。(略)絶対価値の内容を特定しつつ、それを周囲に積極的に啓蒙し布教するような、あるいはそうしたいと欲求するような充実した気分をさして信仰と言うならば、私は信仰に到達したことはないし、今後も到達しそうにない。


 宗教社会学の祖のひとりであるエミール・デュルケーム(一八五八-一九一七)などは、宗教を集団的で実体的な現象として捉えていた。現代の日本で「宗教をやってる」と言えば、何らかの宗教組織に所属していると理解されることが多いから、割りとしっくりくる宗教観だ。しかし西部が言う宗教は、そうした認識とは対照的で、「絶対価値」という、個人が懐く想念やそれに付随する行動を意味している。これは西部が予てより批判していた「価値相対主義」に対置される立場なのだろうが、それだけに「仮説的」とされているのが気になる。西部は、こう説明する。


自分の生活の足元を見下ろしていると、それが様々なルール(マナー・エチケットを含めて) の上に成立っているとわかる。(略)私は既存のルールを信じているわけだ。その「信」の根拠を探っていく と、「絶対」があると仮説するほかなくなるということである。人間の生は、ある目的を設定し、その目的に向けて様々な手段を選択し組合わせるプロセスである。


ひとたびある目的を設定されると、次にはその目的がどこから出てきたものなのかという問いが論理必然的に生じる。(略)論理的に追い込んでいくと、究極の、至上の、絶対の、最高位の目的があるとしなければならない。この最高位の目的がつまりは絶対価値である。


 私がいじめを目撃してそれを止めようとする場合などは、「いじめをやってはいけない」というルールを信じている、と言える。そして敢えてその根拠の言語化を試みるなら、「他人の心をことさら傷つけるべきではない」といった規矩が頭に浮かぶ。さらにその根拠は・・・と考えてみると、私が人格の尊厳性と言うべきものを信じていると言えそうだ。だがさすがにこれ以上は根拠を遡ることに別段意義を感じないから、せいぜいこのあたりで思考を停止させる。しかし哲学的想像力(?)が逞しい西部は、さらにまたその上位ひいては絶対・最高位の価値ないし目的があると措定する・信じる、のだろう。それは明確に表現することができないから、「仮説的」と言うしかない、ということだ。

 西部が考える信仰・宗教論というのは、このように哲学趣味の傾向があり、アリストテレス(前三八四-前三二二)が『二コマコス倫理学』で述べた「最高善」(ト・アリストン)の考えに近い。そんな人が、一般的に生活実践上の利得が主題化されやすい集団・組織としての宗教、とりわけ新宗教を、どのように評価しているのか興味を惹かれるところである。


2018/10/21改稿。


by dreamingmachine | 2018-07-14 16:13 | 現代宗教研究 | Trackback

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